ブログをはじめた理由。の続きみたいなもの。

2017/09/08

 

 

 

 自分の頭の中があまりにもとりとめもないのは文章を書く(自分の考えを整理してアウトプットする)機会が全くないことが一つ要因にあるのでは、とあるとき思ったわけです。

 

→「ブログをはじめた理由。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこではじめてみたブログなのですが同時に露わになってくるのがこの文書力の乏しさで、たまに読み返してみたりこうして書いていると文体が既にパターン化してますし本当に語彙力がないなあと。

 

 

 極端にきれいな文章が書きたいとまでは思っていない、というか書けないのですが、(閲覧していただいている方はわずかとはいえ)一応ネット上に公になっているわけですからできる限りじょうずに文章を書けるようになりたいと常々思っているわけです。

 

 

 そんななか、良い文章を書くために一つは「名文と言われるものにたくさんふれること」というのを本で読みました。当たり前といえば当たり前なんですが、その本が池上彰さんと竹内政明さんによるものだったのでとても説得力があり納得させられてしまいました。(←とても権威に弱い)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなありきたりなことに感心してしまう私にも思い返してみれば以前からいいなあと思って自然と読んでいるものが少しあって、その一つが「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里さんが毎日書いているコラムです。

 

 

 私が見るようになってからはおそらく一度も途絶えていないことがまずすごいなあと思ってしまいますし、今日は書くネタがないというような書き出しでもなんだかんだ余韻を感じさせるものを読ませてくれます。今年の5月には仕事を丸々一ヶ月休む(コラムも休むかも)と言いながらたぶん毎日更新されてました。うろ覚えなんですがいつだったか「ぼくは作文?(文章を書くのが?)が苦手だ」と書いていて、そんなの嘘だろ!と誰もが思ったんじゃないかと。

 

 

 いいなあと思うのは、脆い一本歯の高下駄を履いてさらに背伸びしている私のような文章ではなく、やさしい文体で語り草が飾ることなく本心から等身大の言葉で綴られている(ように感じられる)ところです。毎回というわけではないけどもなるほどなあとか考えさせられたり、戒められたりする文章に惹かれいつの間にか毎日見るようになってました。

 

 

 

 

 

 でようやくここからが本題。

 

 

 いつものごとく「ほぼ日」を訪れたところ、昨日のコラムが今の私を説教してくれているようで心に沁みましたのでちょっと紹介しようと思った次第です。(毎日消えていくコンテンツをここに載せていいものなのかわかりませんが...)

 

 

 

<もし問題があるようでしたらどなたのご意見でも構いませんのでお知らせください。即刻消します。>

 

 

 

 

以下9月7日のコラム

 

 

さまざまなスポーツ中継を観ていると、

監督やコーチのことばとして、よく聞こえてくるのは、


「じぶんで考える選手がほしい」ということだ。 
 

スポーツばかりでなく、仕事や生活の場面でも、
 

「じぶんの頭で考える」であるとか、
 

「じぶんで判断できる」ということが期待されている。

 

 

逆というのは、どういうことかと言えば、
 

「じぶんで考えられない選手は困る」だ。
 

つまり、じぶんの頭で考えない、じぶんで判断できない。
 

それはよく「指示待ち」と言われることだ。

 

 

まず、じぶんが、
 

じぶんの頭で考えているのかいないのか。
 

それを知ることから、すべてがはじまるだろう。
 

いつもじぶんの頭で考えていて、
 

じぶんで判断している人は、そうたくさんはいない。
 

どうしても、考えることや、判断することを、
 

他人にまかせてしまっているということが多いのだ。

 

 

じぶんで考える選手(人)になるためには、
 

どういうことをしていったらいいのか。
 

それは、じぶんの頭で考える回数を増やすことだと思う。
 

大きい問題を、大きいままにしておいても、
 

なにをどう考え、どう判断したらいいのかわからない。
 

そして、締切りや期限のない問題を考えるということも、
 

じつは、とっかかりがなくて考えようがなくなる。

 

 

大きい問題を、小さい問題の組み合わせとして観る。
 

そして、小さい問題の答えを、日々出していく。
 

正解か不正解かにとらわれないようにして、
 

一日ずつ、じぶんで考えて、なんとか結論を出す。
 

結論を「出してみる」ではなく「出す」。
 

これをはじめてみると、いかにいつものじぶんが、
 

じぶんの頭で考えることや、判断することから
 

逃げているかに気づかされることになる。
 

毎日、今日できることを、
 

じぶんなりに考えて、じぶんなりに判断する。
 

その回数が積み重なって、じぶんで考える選手になる。
 

ぼくは、そんなことが大事なんじゃないかと思う。



 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。


世の中には「じぶんの頭で考えるな」という人もいるけど。

 

コラムおわり

 

 

 

 

 この「じぶんの頭で考えない人」というのはまさに私のことだなと思ってしまいまして。

ブログを書くようになって多少なりとも以前よりは頭を働かして吐き出す機会が増えたとはいえ、今まで考えることを避けてきた結果、主張が曖昧、故にぼやけた文章になってしまっているところがあるよなあと。

 

 

 で、そう考えると今は良いのか悪いのかネットという非常に便利なものがあるため、油断すると考えるべきことに対して自分の結論を出す前に答え(みたいなもの)を得られて思考停止してしまいます。ただ歳をくえば思慮深くなるだろうと漠然としてましたが、漠然とじゃだめですね。

 

 

 とりあえずちまちまとブログで文章を書くことが私にとってそれを少し改善する手段であるのには違いないので改めて出来る限り続けてみようと思ったのでした。

 

 

 

 

今日も「長十郎ステートメント」に来てくれてありがとうございます。

更新は糸井さんみたいに毎日できないけど。

 

 

 

 

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