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AIに従う準備はできているか。

今日は朝から年一の健康診断に行ってまいりました。

とても簡易的なものですが、幸いなことに普段からほとんど病院にお世話にならない私にとっては客観的に自分の身体を見る良い機会であります。

細かい診断結果は後日郵送で送られてくるのですが、診てもらいながらの数値を見る限りここ数年のと大きな変化はありませんし特に異常もないようなので良かったです。健康第一。ただ年々脂肪がつきやすくなっているような...。

↑ BIGGA RAIJI の「おなかの唄」を思い出す

今回のブログの表題に関してはちょっとだけセンセーショナルな文言をつけたくなっただけでして、そこから期待される内容を書けているかというと甚だ疑問が残りますし、読んでためになる文章というよりも私個人の浅はかな知識による乱暴な感情論みたいなものです。(←まあいつものこと) 単なるブログ数の肥やしですから、あーなんか言ってるぐらいの気持ちでよろしくお願いします。

野村総合研究所 - 代替可能性

(イギリスとの差は具体的に何が要因なのか気になる...)

9月3日毎日新聞の三面記事に書いてあったことが私にとって大変興味深かったです。

とりあえず記事の冒頭部分を丸々使わせてもらいます。

 

 人工知能(AI)を活用しようとしている企業が増えている。

人の判断を補ったり単純作業を代行したりするだけでなく、人の仕事のやり方を分析し、効率アップの方法をアドバイスするAIも登場。残業を減らす「働き方改革」にも資すると期待される。「同僚はAI」という日も遠からず来そうだが、それで私たちは幸せになるのだろうか。

 

まず考えさせられたのは「同僚はAI」、これってそんなに問題になることなのかということ。

AIと共に働くということを考えてみると、特に日本人なら性に合いそうだと思ってしまうのは私だけでしょうか。

もし仮に私がそういう状況になったら、

AIなら変に気を遣う必要もない。

面倒くさいと思ってしまうような飲み会に付き合うこともない。

効率的に仕事する方法を教えてくれてひたすらそれに従っていればいい。

それでお金がもらえる。

(想像力のかけらもないものすごく楽観的なイメージですが)これってある意味楽なんじゃないかと。

AIに従うという点に若干の抵抗を感じさせられるのは否めませんが、上司に従って働いていることを考えればそこまで我慢できないことではない気がします。むしろその方が我慢出来るかもしれない。

馬鹿の一つ覚えでアドラー心理学から引用させていただきますと、人間の悩みは全て対人関係から生まれると言い切っていますし、とりあえず幸せかどうかはわからないが働きやすくはなるのではと思ったりします。

では自分の仕事をAIに取って代わられてしまった場合。

そもそも現状で働くことを通じて幸せを感じている人がどれくらいいるのでしょうか。

北朝鮮がミサイルを発射して日本に着弾する事を心配するよりもそれで会社が休みになってくれと思っている人も多いようですし、私の場合、会社から辞めてくれと言われれば「あ、はいわかりました」というぐらいなもので食いぶちがなくなることはいささか問題ではあるものの、いっその事そうしてほしい気持ちも少なからずあります。

今の仕事に良いところが全く無いというわけではないですし、何より数年続けられていることは働きやすいことを証明しているのかもしれませんが実際のところはあまり本意ではありません。

そうしたときよく言う「やりがいを見出す」というのは、しょうがなくやっていることを自分に納得させるための言い訳のような気がしてなりません。おそらく大体の仕事においてやりがいというのは見つかってしまう。

「やってんのか、やらされてんのか」という言葉はブーメランのごとく自分に返ってきます。

とまあ私は現在の仕事をする上では幸せをあまり感じていません。AIが代わってくれるものならさっさとやってくれと。はよ労働から解放させてくれとAIウェルカム状態なわけですが、そうなったとき問題として挙げられるのが新聞記事の本文で触れらている、自己肯定感を得られなくなるとか承認欲求をどう満たすのかというところのようです。

仕事で満たされないものを趣味に没頭することで解消してきた私にとって、例えばつくりたいものがつくれるようになったというようなことに自己肯定感を得てきた気がします。(自己満足なりに人に見せたりして)

そこで没頭できる何かがあると有利だよねと、一つ私は思うわけです。

必要最低限生活するためのお金は国がベーシックインカムみたいなものを用意してくれるとして(←超絶楽観主義)、趣味といえどお金がかかるものなので、没頭する趣味をお金に変える方法というのを準備しておけたらいいよねとか。

AIに仕事を奪われてしまうかもと悲観的になるのではなく、一辺倒な価値観からもっと本質的に自分にとってどういった生活が幸せなのかということを突き詰めて考えるいい機会なのかもしれません。

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